自己・他者・対象物のトライアングルで、自他の認識を育てる

9月 24th, 2009

何かを指差して、相手を見つめる。この「言葉以前のコミュニケーション」において育まれるもうひとつの大きな要素が、「自他の認識」-つまり自分と他人の区別に関する意識です。

この人間社会にあって、私たちは誰しも、『「自己・他者・対象物」のトライアングル』のなかに生きているといえます。そして、この三角形のなかに身を置くことが、とくに発達初期の脳にとっては大事な経験になります。

たとえば、初めて寝返りを打てた、初めてつかまり立ちができたというとき、赤ちゃんは必ずといっていいほど母親なり、父親なり、「他者」を見ます。その「他者」が喜んだり、笑ったりしている「反応」を見ることによって、赤ちゃんは自分の行動が誰かに何らかの「影響」を及ぼすことを、初めて知るのです。

そして、自分が何かすると誰かに影響を与えることを知った赤ちゃんは、「自分」がいて、自分とは違う「他者」がいて、さらに「対象物」がある、そのトライアングルの関係を使いながら、自分以外の誰かとコミュニケーションをとることを徐々におぼえていきます。これがひいては、自分という「あらゆる行動における主体」について、学んでいくことにもつながるのです。

自分は自分であって、他人とは違う。これは、私たち大人なら誰もがごく自然のうちに理解している自明のことですが、そんなごく当たり前のことにしても、脳は与えられるべき経験を、与えられるべき時期に与えられなければ、学ぶことができません。だからこそ赤ちゃんに自他の区別を理解するための環境と経験を与えることは、わが子を「人」たらしめるためにも、きわめて重要なのです。

たとえば鏡に映った自分を、人間はかなり早い段階からそれが鏡のなかの自分だと認識できます。また、チンパンジーでも認識できるのですが、これがニホンザルになるとなかなか理解できません。

さらに人間に限っては、自分の目線ではなく「相手の目線に立って物事を考える能力」をのちに培うこともでき、四~五歳くらいになると、相手が自分とは違うことを考えているかもしれないことにも、理解が及ぶようになります。

これらはすべて、「自己」と「他者」を、違うものとして認識できて初めて、可能になるのです。

まずは赤ちゃんとの間に、オモチヤなどの興味を示しそうなものを置き、「赤ちゃん=自己」「お母さん=他者」「オモチヤ=対象物」のトライアングルの関係を作ったうえで、赤ちゃんからの視線や指差しといった「言葉にならない言葉」を受け止めることからはじめます。

たとえば、オモチャを見つめていた赤ちゃんが、次に母親を見る。そのとき、「そう、このオモチャで遊びたいの?はい、どうぞ」と言ってオモチャを手渡すと、赤ちゃんはひとしきりオモチャを触ったり、なでたり、じっと見つめたりしたあとに、母親に手渡すかもしれません。そこで「どうもありがとう」と言って、そのオモチャを、たとえばガラガラならガラガラと鳴らして見せたあと「はい、どうぞ」と言ってまた手渡します。すると自分でもガラガラを振ってみた赤ちゃんは、同じように音が鳴るので大喜び……。

と、そんなふうに「はい、どうぞ」「ありがとう」と、誰かとやりとりすることを何度も繰り返し、さらに「オモチャを動かす」「位置をいれかえる」、または「隠す」など、大人もいろいろと働きかけるなかで、赤ちゃんは「自己・他者・対象物」のトライアングル
を使ったコミュニケーションのとり方や、自分と他人は違うことを少しずつおぼえていきます。

「自分」を確立し、「他者」を確立し、「自」と「他」の関係性についての認識を、明確に築き上げることは、すべてのコミュニケーションの基礎中の基礎。だからこそ「自己」がいて、「他者」がいて、その他者と「モノ」を介してやりとりできるような状況を、赤ちゃんには意識的に与え、発達初期の脳に「自己・他者・対象物」のトライアングルの関係を、意識的に刷り込むことが大事なのです。

また、そうした自他の認識が確立されて初めて、子どもは誰かの動作を「真似る」ことができるようになります。この真似ができるということと言葉の発達とは、実は非常に強い相関関係があるのではないかと、脳科学者のあいだでは考えられています。

「自分」がいて「他人」がいて。自意識の萌芽はここからはじまるのです。

「指差し」は、言葉以前のコミュニケーションツール

6月 28th, 2009

 赤ちゃんはだいたい生後10~11カ月になると「指差し」をはじめるようになります。

 ある日、公園に日向ぼっこに行くと、大きな犬が散歩をしていました。すると赤ちゃんはその姿を目で追いかけては、親を見ることを何度か繰り返し、やがて「ンー、ンー」と言葉にならない声を出しながら、向こうを指差しています。その指の先には犬がいて、よほど気に入ったのか、こわかったのか、その指先にあるものに対する興味や好意、または恐怖や「要注意情報」を、その赤ちゃんは何とか親に伝えようとしているのです。

 この指差しもまた、大事な「言葉以前のコミュニケーションツール」のひとつです。

 遠くに離れた何かを指差して、自分の関心を伝えようとするのも、実は人間ならではの行為です。空間を隔てた先にあるものを「あれ」、近くにあるものを「これ」と指差すということが、たとえばチンパンジーにはありません。仮に何かを指差しているように見えたとしても、その指差しには「伝達機能」がなく、たとえば、足もとに落ちているバナナの皮に指先が触れていても、それは単に「触っている」だけ。指先と対象物に距離がある場合は、たまたま指先の向こうにモノがあっただけなのです。

 かたや赤ちゃんの指差しには、この「伝達機能」がありすぎるほどあります。その指先には碓かな意思が宿っていて、単に「あれ」「これ」「それ」といった指示代名詞の代わりをするばかりでなく、「好き」「かわいい」「大きい!」など、自分が何を感じたかまで伝えられる「言葉」の役割を果たすのです。

 そして、その犬なり何なりを指差したあとには、赤ちゃんは必ずといっていいほど親を見ます。その一連のコミュニケーションを、親がきちんと受け止めてあげることが大切です。まずは赤ちゃんの指の先にあるものを見て、次に赤ちゃんの瞳を見て、「大きいね」「かわいいね」「でも、ちょっとこわいね」と、赤ちゃんの気持ちを言葉にしてあげる。視線と、言葉と、できれば笑顔とで、赤ちゃんの「言葉」に応えてあげてこそ、赤ちゃんは自分の言葉が「伝わった」ことを実感できるのです。

 コミュニケーションとはつまるところ、言葉や気持ちの「やりとり」です。言葉はまだ話せなくても、こちらからあちらへ、またこちらへと、思いを伝えては受け取り、受け取っては伝えることが、赤ちゃんにもできるどころか、その瞳や指先は雄弁すぎるほど。

 そんなおしゃべりな相手との「会話」を互いに楽しみながら、親と子のあいだに確かな関係を築いていくことが、すべての人間関係のはじまりなのです。

見つめられたら、見つめ返す

6月 7th, 2009

 脳の発達初期、とりわけ言葉をおぼえる以前の乳児期は、子どものコミュニケーション能力を育むうえで、非常に大事な時期です。

 というのも、この時期の「言葉にたよらないコミュニケーション」 の経験こそが、のちのち会話力や表現力など、人間関係力を身につけていくための重要なカギを握っているからです。

「視線による会話」も、そのひとつです。
 たとえばテーブルに飾ってあるチューリップをじーっと見つめていた赤ちゃんが、今度はしきりにお母さんのほうを見る。
 これは「自分はその対象に興味がある」ということを伝えようとするコミュニケーションの第一歩。そして、自分の意思が相手に伝わった「確信」を、この時期に重ねて得ることが、脳の発達にとってはとにかく重要なのです。

 つまりその子は、まだ言葉こそ話せないけれど、視線を使って、「お母さん、見て、見て」「きれいだね」と、「確認」や「共感」を促しているわけです。そんなときは、「その花を手に取って匂いを嗅がせてあげる」とか、または「見つめ返す」「微笑み返す」といったことでも、赤ちゃんは自分の意思が相手に伝わったと実感することができます。

 そうした「伝達→反応」の体験を繰り返すなかで、発達初期の脳は自分以外の世界と関わることを学び、言葉をおぼえるはるか以前から、コミュニケーションに関する基礎能力を培っているのです。

 人間はとくに視覚に関する能力が発達していて、白目と黒目がこれだけハッキリしているのも、実は動物のなかで人間だけです。昼行性動物にとって視覚情報を得るということは基本的に有利に働き、とくに力が強いわけでもカラダが大きいわけでもない人間の視覚は、周囲の状況をより正確に把握できるよう進化してきました。そうでなければ生き残れなかったともいえます。そして黒目の中心、俗に瞳といわれる部分はもっとも視覚情報の解像度が高く、対象物を網膜のどの部分にもってくるかによって、どれだけ細かく調べられるかが違ってきます。すなわち、黒目の中心で対象物をとらえようとするということは、その対象からより多くの情報を得たがっているということになります。

 だからこそ人間は「黒目の中心で何かを見る」=「その対象に興味や関心がある」という自分の思いを視線によって誰かに伝えることもでき、相手も「ジーツと見ているということは興味があるんだな」と、その意思を無言のうちに受け取ることができるわけです。

黒目と白日のハッキリした人間の視覚構造が、ひいては「見る・見つめる=対象への興味や注意の表れ」という社会的な共通認識を生んでいるのです。

 つまり視線の方向や、「ジーツと見ている」か「チラツと見ているだけか」といった目の凝らし方を、コミュニケーション上の「情報」として共有しているわけで、そんなことができるのは人間だけです。他の動物が何かを見つめていても、それは単に見ているだけで、「その花に興味があるんだな」「好きなんだなあ」とは、仲間の動物は思いません。

「見つめる=興味がある」と伝えている赤ちゃんに対して、親が「見つめ返す=あなたがこれに興味があるということを、私は理解しました」と伝え、さらに「私もそう思う」と、共感まで伝えられる、「視線によるコミュニケーション」が、人間には可能です。

 そして、「自分は誰かにちゃんと気持ちを伝えられたんだ」という伝達の実感や、「相手もわかってくれた、肯定してくれた」という共感の経験が、のちのち円滑な人間関係を築いていくうえではもちろん、実は言葉を習得する際にも、大事な素地になるのです。

 見つめられたら見つめ返す、微笑み返す……そんな小さなリアクションも、大事な「会話」なのです。