「指差し」は、言葉以前のコミュニケーションツール

6 月 28th, 2009

 赤ちゃんはだいたい生後10~11カ月になると「指差し」をはじめるようになります。

 ある日、公園に日向ぼっこに行くと、大きな犬が散歩をしていました。すると赤ちゃんはその姿を目で追いかけては、親を見ることを何度か繰り返し、やがて「ンー、ンー」と言葉にならない声を出しながら、向こうを指差しています。その指の先には犬がいて、よほど気に入ったのか、こわかったのか、その指先にあるものに対する興味や好意、または恐怖や「要注意情報」を、その赤ちゃんは何とか親に伝えようとしているのです。

 この指差しもまた、大事な「言葉以前のコミュニケーションツール」のひとつです。

 遠くに離れた何かを指差して、自分の関心を伝えようとするのも、実は人間ならではの行為です。空間を隔てた先にあるものを「あれ」、近くにあるものを「これ」と指差すということが、たとえばチンパンジーにはありません。仮に何かを指差しているように見えたとしても、その指差しには「伝達機能」がなく、たとえば、足もとに落ちているバナナの皮に指先が触れていても、それは単に「触っている」だけ。指先と対象物に距離がある場合は、たまたま指先の向こうにモノがあっただけなのです。

 かたや赤ちゃんの指差しには、この「伝達機能」がありすぎるほどあります。その指先には碓かな意思が宿っていて、単に「あれ」「これ」「それ」といった指示代名詞の代わりをするばかりでなく、「好き」「かわいい」「大きい!」など、自分が何を感じたかまで伝えられる「言葉」の役割を果たすのです。

 そして、その犬なり何なりを指差したあとには、赤ちゃんは必ずといっていいほど親を見ます。その一連のコミュニケーションを、親がきちんと受け止めてあげることが大切です。まずは赤ちゃんの指の先にあるものを見て、次に赤ちゃんの瞳を見て、「大きいね」「かわいいね」「でも、ちょっとこわいね」と、赤ちゃんの気持ちを言葉にしてあげる。視線と、言葉と、できれば笑顔とで、赤ちゃんの「言葉」に応えてあげてこそ、赤ちゃんは自分の言葉が「伝わった」ことを実感できるのです。

 コミュニケーションとはつまるところ、言葉や気持ちの「やりとり」です。言葉はまだ話せなくても、こちらからあちらへ、またこちらへと、思いを伝えては受け取り、受け取っては伝えることが、赤ちゃんにもできるどころか、その瞳や指先は雄弁すぎるほど。

 そんなおしゃべりな相手との「会話」を互いに楽しみながら、親と子のあいだに確かな関係を築いていくことが、すべての人間関係のはじまりなのです。

見つめられたら、見つめ返す

6 月 7th, 2009

 脳の発達初期、とりわけ言葉をおぼえる以前の乳児期は、子どものコミュニケーション能力を育むうえで、非常に大事な時期です。

 というのも、この時期の「言葉にたよらないコミュニケーション」 の経験こそが、のちのち会話力や表現力など、人間関係力を身につけていくための重要なカギを握っているからです。

「視線による会話」も、そのひとつです。
 たとえばテーブルに飾ってあるチューリップをじーっと見つめていた赤ちゃんが、今度はしきりにお母さんのほうを見る。
 これは「自分はその対象に興味がある」ということを伝えようとするコミュニケーションの第一歩。そして、自分の意思が相手に伝わった「確信」を、この時期に重ねて得ることが、脳の発達にとってはとにかく重要なのです。

 つまりその子は、まだ言葉こそ話せないけれど、視線を使って、「お母さん、見て、見て」「きれいだね」と、「確認」や「共感」を促しているわけです。そんなときは、「その花を手に取って匂いを嗅がせてあげる」とか、または「見つめ返す」「微笑み返す」といったことでも、赤ちゃんは自分の意思が相手に伝わったと実感することができます。

 そうした「伝達→反応」の体験を繰り返すなかで、発達初期の脳は自分以外の世界と関わることを学び、言葉をおぼえるはるか以前から、コミュニケーションに関する基礎能力を培っているのです。

 人間はとくに視覚に関する能力が発達していて、白目と黒目がこれだけハッキリしているのも、実は動物のなかで人間だけです。昼行性動物にとって視覚情報を得るということは基本的に有利に働き、とくに力が強いわけでもカラダが大きいわけでもない人間の視覚は、周囲の状況をより正確に把握できるよう進化してきました。そうでなければ生き残れなかったともいえます。そして黒目の中心、俗に瞳といわれる部分はもっとも視覚情報の解像度が高く、対象物を網膜のどの部分にもってくるかによって、どれだけ細かく調べられるかが違ってきます。すなわち、黒目の中心で対象物をとらえようとするということは、その対象からより多くの情報を得たがっているということになります。

 だからこそ人間は「黒目の中心で何かを見る」=「その対象に興味や関心がある」という自分の思いを視線によって誰かに伝えることもでき、相手も「ジーツと見ているということは興味があるんだな」と、その意思を無言のうちに受け取ることができるわけです。

黒目と白日のハッキリした人間の視覚構造が、ひいては「見る・見つめる=対象への興味や注意の表れ」という社会的な共通認識を生んでいるのです。

 つまり視線の方向や、「ジーツと見ている」か「チラツと見ているだけか」といった目の凝らし方を、コミュニケーション上の「情報」として共有しているわけで、そんなことができるのは人間だけです。他の動物が何かを見つめていても、それは単に見ているだけで、「その花に興味があるんだな」「好きなんだなあ」とは、仲間の動物は思いません。

「見つめる=興味がある」と伝えている赤ちゃんに対して、親が「見つめ返す=あなたがこれに興味があるということを、私は理解しました」と伝え、さらに「私もそう思う」と、共感まで伝えられる、「視線によるコミュニケーション」が、人間には可能です。

 そして、「自分は誰かにちゃんと気持ちを伝えられたんだ」という伝達の実感や、「相手もわかってくれた、肯定してくれた」という共感の経験が、のちのち円滑な人間関係を築いていくうえではもちろん、実は言葉を習得する際にも、大事な素地になるのです。

 見つめられたら見つめ返す、微笑み返す……そんな小さなリアクションも、大事な「会話」なのです。

まずは「早起き」からはじめよう

5 月 28th, 2009

 文部科学省では2006年度より、おもに小・中学校の子どもを対象にした「早寝早起き朝ごほん」運動に取り組んでいます。
 その名のとおり、夜は早く寝て、朝は早く起き、そしてしっかり朝ごはんを食べてから登校する。そんな、本来はごく当たり前とも思えることをあらためて習慣づけるべく、文科省が音頭をとって有識者などからなる「早寝早起き朝ごはん」全国協議会を組織し、現在、教師・保護者・生徒等に向けた各種講演なども各地で行われています。

 この取り組みの背景には、いわゆる「キレる子ども」の増加への危機意識があり、また、保護者同伴ではあれ子どもの姿が深夜の繁華街などでよく見かけられるようになったことに対する問題意識があります。文科省では90年代後半から「児童生徒の問題行動等に関する調査研究協力者会議」などを通じて、子どもの突発性攻撃的行動をめぐる調査・分析・研究を、脳科学や児童心理学、犯罪研究の専門家や医師、教育関係者らと、垣根を越えたかたちで行ってきました。しかし決定的な結論はいまだ得られないなか、とりあえずスタートしたのが「早寝早起き朝ごほん」運動といえるでしょう。

 実際「早寝早起き朝ごほん」が子どもの心やカラダ、そして脳の健全な育成にとって非常に大切なことは、さまざまなデータがすでに示しています。その効果を十分生かすためにも、「早寝をするには、まずは早起きをすることから⊥と、むしろ「早起き・早寝」をすすめる睡眠学者もいます。

 夜はなるべく早く、子どもを寝かしつける。それができるのなら、もちろん順番などどちらでもかまいません。しかし現代の子どもにはテレビにゲームにパソコンなど、夜更かしにつながる誘惑・娯楽が、数え切れないほどあるのが現状です。なかには眠ったふりをして、ふとんのなかでこっそりゲームに興じている子どもがいても不思議はありませんし、「眠る」に関しては実際のところ、親たちが完全に管理をするのはなかなか難しい部分もあります。

 しかし「起きる」に関しては、無理やりにでも叩き起こせばいいともいえます。まずはカーテンを開けて、朝の光を浴びさせる。それでもまだ子どもがしぶとく寝ているようなら、ふとんを引っ剥がすくらいの手荒さはあってもかまいません。そして、その日一日くらいの睡眠不足には目をつむり、とにかく早起きをまずはさせて、昼間は外で遊ぶなり何なり、運動量を増やすようにしむけ、子どもが疲れて早く眠ってしまえば大成功です。

 子どもによりよい睡眠をとらせるには、周りの大人たちが「昼間の活発な活動」をなんとかして保証してあげることがとにかく大事です。それでなくても広場もなければ空き地もなく、外で遊ぶといっても不審者や交通事故や怖いことだらけで、子どもが家のなかにこもりがちな現代の都会では、「子どもは放っておいても夜になれば眠くなる」なんて、もはや幻想なのです。そして「夜更かし→朝寝坊→慢性の時差ボケ→昼間の活動量が十分に確保できない→夜眠れない」という負の連鎖を断ち切り、「早起き・早寝」の好循環に切り替えるためには、何はなくともまず早起きから!

 それもこれも子どもの心とカラダ、そして脳の、健やかな発達と成長のため。朝のセロトニンも、夜のメラトニンも、とかく高まりにくい現代という環境にあって、どちらも十全に分泌させるためなのです。